2025年5月8日
長野県千曲市 鳶高橋 高橋慎治社長
ワーケーションから生まれた「熱量の高い」地域プロジェクト
2027年に100周年を迎える東京都の老舗建設会社「鳶高橋(とびたかはし)」の3代目社長、高橋慎治さん(51)。2020年から長野県千曲市のまちづくりに関わっている。いわゆる関係人口だ。きっかけはたまたま参加したワーケーション。熱量の高いメンバーらと語り合う中で、プロジェクトが生まれたという。これまでにゲストハウス2軒の開業にかかわったほか、今年夏頃にオープンするサウナ、宿泊設備の付いた斬新なサテライトオフィスをプロデュース。「地方には無限の可能性と大都市では得られない学びがある」。そう語る高橋さんの体験を紹介する。
感動したお寺のワーケーション体験
「ワーケーションの体験イベントに一緒に行きませんか?」。コロナ禍の2020年秋、高橋慎治社長はスタッフから突然、声をかけられた。ワーケーションとはワーク(働く)とバケーション(休暇)を重ねた造語。リモートワークやウェブ会議が浸透し、社会の働き方が大きく変化する最中、建設会社を営む高橋社長も、時代に即した新たなワークスペースを作ろうと模索していた。そんな矢先のスタッフの誘い。直感的に「行く!」と決めた。
向かったのは長野県千曲市。緑あふれる山々、千曲川の清流、昔ながらの温泉街(上山田温泉)もある。コロナ禍でワーケーションを推進する自治体が増えたが、一般的にオフィスをコワーキングスペースに転用したものが多い。だが、千曲市は一味違う。温泉旅館、お寺、棚田、スナック……。普段は観光や娯楽に使われる場が働く場になっているのだ。
イベントの開催は11月。長野県はすでに寒く、参加者らは朝からお寺の本堂に用意されたこたつに入り、パソコンを開いた。ランチタイムには地元食材を使った弁当が配られ、食事をしながら参加者らの会話が始まる。高橋社長が「仏様に見られながら仕事をするのって緊張しますね」と軽く話しかけたら、その相手は普段は出会わない一流企業の幹部。「まさかこんなところで」と驚いたという。ほかにも経営者や会社員、フリーランスまで様々なタイプの人が集まっていた。開放的な雰囲気の中で参加者らの親近感が生まれていく。「肩書も役職も関係ない深みのある人間関係が構築できる仕組みに感動しました」と語る高橋社長。千曲市のワーケーションに新たな時代の到来を感じたという。

映画「男はつらいよ」の世界観を再現
高橋社長はその後も千曲市のワーケーションに足を運んだ。行くたびに仲間が増え、顔を合わせるたびに親しくなっていった。中でも印象深かったのが、「トレインワーケーション」。しなの鉄道の列車を借り切り、鉄道の旅を味わいながら仕事と交流をするというイベントだ。そこで出会ったのが則ちゃんこと清水則子さん。2人の子どもを育てるシングルマザーで、映画「男はつらいよ」の寅さんの生き方にあこがれていた。清水さんはこう語った。「高橋さん、私はスキルも人脈もお金もないんだけどさ、『男はつらいよ』の世界観を再現したいんだよ。“昭和の寅や”って名前のみんなが集まる場所をつくりたいんだ」。話を聞いた高橋社長は、「こんなにまっすぐ夢を語る人がいるのか」と胸が熱くなり、「力を貸してあげたい」と思った。ほかの参加者も同じ気持ちだった。そして、プロジェクトが動き出す。応援するひとりが上山田温泉の一角に空き物件を見つけ、リニューアル工事に必要な資金はクラウドファンディングで募集。目標金額の200万円はわずか5日で集まった。そこからはスキルをもったプレーヤーらが事業計画からPR活動までを分担して開業を目指し、高橋社長は外装と内装の一部を引き受けた。「男はつらいよ」の舞台になった東京の柴又を訪問し、街並みを見て外壁の色を決めた。昭和の寅やは、にぎやかで、暖かくカラフルな世界。それを引き立てるために外観はシンプルな「墨色」を採用した。おせっかいハウス「昭和の寅や」完成したとき、オーナーの清水さん、協力したメンバーらは涙を流して喜んだという。「まちが大きく変わる歴史に携わったかのような達成感と喜びに包まれていました」(高橋社長)

音楽の道を志し実績を残す
清水さんをはじめ人々の熱気に押されてプロジェクトに参加した高橋社長だが、自身も熱い人生を歩んできた。実家は高い場所での工事を担うとび職から始まった建設会社。1927年創業の老舗だ。父が2代目でいずれ後を継ぐことは幼いころから意識していたが、「自分の将来は自分で決めたい」と、18歳で好きだった音楽の道を志した。
勤めた先は1980年代から90年代初頭にかけて隆盛を極めたクラブ「DJバーインクスティック」。最初はDJをしていたが、音楽への熱意が評価されて企画、PR、アーティストのブッキングを担当するようになった。「量稽古のように働きまくりました」(高橋社長)
ところが、バブル崩壊の影響で景気が悪化。クラブも閉鎖された。不況の中、仕事も一転。クラブの運営からスナックのアルバイトになった。月収は10万円に激減。「パン屋さんから食パンの耳をもらって生活したこともあります」。
スナック勤めをしながら楽曲のデモ音源をつくりレコード会社に売り込んでいた。すると、「ルパン三世」(テレビ第一シリーズ)の作曲を手がけた山下毅雄氏から「レコード化しないか」と声がかかった。最初は「冗談?」と疑ったが本当だった。
そこからは楽曲の制作に専念。作品はタワーレコードで販売され、メジャーレーベルからリミックスも出し、大手企業のラジオCMや映画音楽の制作にも携わった。
だが、次第に自分作りたいものよりも市場がつくるトレンドに合わせた楽曲を求められるように。違和感を覚えた高橋社長は「好きな音楽だからこそ、機械のように心を無にしてまで携わりたくない」と業界を去った。

孫請け会社をゼネコンに成長させた経営のド素人
高橋社長が建設会社「鳶高橋」の経営を引き継いだのは2010年、37歳のとき。父の他界がきっかけだった。経営に関してはまさにド素人だったが、初めて会社の財務状況を知ったときの衝撃は「今も忘れられない」という。仕事の多くは孫請けで収益が上がらず資金繰りも悪化していた。リーマンショックの影響が残る中、厳しい状況を打開するために総合建設業(ゼネコン)に営業をかけ、取引の約束を取り付ける。ところが、財務状況が原因で与信審査に通らず、契約は白紙に。逆境に陥った高橋社長は奮起した。「どんな仕事でも受けよう!売上を伸ばそう!」と自身はもちろん、社員にも発破をかけ、会社を黒字に転換。ゼネコン40社と取引関係を築いた。さらに売上が3億円近くになった段階で下請け企業からの脱皮をはかる。一級建築士ら優秀な人材を会社に迎え、社長自身も不動産業の資格を取得。就任から10年をかけて、不動産開発から施工までプロジェクトを一貫して手掛けるゼネコンへと成長した。
温泉街の歴史を知る旅館の再生
高橋社長が千曲市で寅やの次に手がけたのが、ゲストハウス旅館相生だ。開業は1961年。オーナーは地元出身の林欣克さん。祖母が経営していた元旅館を引き継ぐことになり、市役所の観光課で働きながら、調理師免許を取得したり、宿泊施設の研究をしたり30年に及び準備を進めていたが、開業まであと一歩のところで足踏みしていた。その背中を押したのが、「寅や」を手がけた高橋社長の仕事だった。二人はワーケーションで知り合い、共通の趣味の音楽を通じて親しくなっていた。林さんは「高橋さんの会社は歴史があるのに考え方が柔軟で挑戦する姿勢がすばらしい」と絶賛しリニューアル工事を依頼したそうだ。
引き受けた高橋社長は、ゲストハウスの親しみやすさと、旅館ならではの上品な温かみの表現に努めた。竹細工や柱など、既存の素材を生かしながら壁に暖色を採用し、明るさを演出した。
温泉街の歴史を知る旅館が再開した日は、温泉街の住民らも集まり喝采したという。
「反響以上にひとりの人がその人生をかけて準備された構想のお手伝いができたことが何よりも光栄です」(高橋社長)

物置状態の旧ホテルが斬新なサテライトオフィスに変身
千曲市の中心街にある「和カフェよろづや」は地元食材を使った料理を楽しみながら、交流ができる場所だ。カフェには日々地元住民の方々をはじめ、企業や官公庁の職員が集まりにぎわっている。その輪の中心にいるのが経営者の北村たづるさん。気配り上手な人柄で、彼女が先導役となって地元の特産物の販売イベントなどプロジェクトを次々と立ち上げている。
高橋社長はワ―ケーションで北村さんと知り合い、「和カフェよろづや」に通うようになった。「人の温かさに疲れが吹き飛び、活力がわいてくる場所」という。和カフェよろづやは1階がカフェ。2階、3階はかつてホテルだったが、閉鎖されていた。北村さんは旧ホテルの空間を千曲市内外の人々の交流拠点として活用したいと構想を練っていた。

高橋社長が、カフェのスタッフや常連客に「慎ちゃん」と愛称で呼ばれるようになった頃、ホテル改装プロジェクトのブランディングを担当してほしいと依頼された。
人々が交流する新しいワークスタイルの空間づくりを模索していたこともあり、二つ返事で引き受けた。そこからプロジェクトが動き始める。物置状態になっていた旧ホテルの片づけには15人以上の有志が参加。3階建てのビルは新たに「萬屋ビルヂング」と名付けられ、熱気が高まって行った。
課題に挙がったのは資金確保と継続的な運営のための仕組みづくりだ。前者はデジタル田園都市構想と絡めて国や自治体の支援を受けられるよう事業モデルを構築。後者はサテライトオフィスを設けることで、賃料収入を見込める計画を描いた。
2階は交流拠点として使えるキッチン、サロン、コンベンションルーム、3階には11部屋のサテライトオフィスを設けた。2階には「働きながら調える空間がほしい」とサウナもつくられた。工事中の段階(2025年3月)にも関わらず「萬屋ビルヂング」には東京都の企業4社、長野県1社の入居が決まっている。

地域の人々とともに創り上げるプロセスが大切
「萬屋ビルヂング」のプロジェクトは、千曲市役所の職員をはじめ、多数の協力者の知恵とパワーによって進んだ。高橋社長は「東京では感じたことがないエネルギーでした。地域に根付いた暮らしをしている人々にとって、まちの課題は切実で真剣に向き合っています」と語る。
千曲市を訪ねるようになって5年。「なぜ地方のまちづくりを手伝うのか」とよく聞かれるが、「地域創生」や「関係人口」といった言葉を強く意識をしたことはない。「出会った人と仲間になり、力になりたいという純粋な思いが活動につながっている」という。最後に地域活性化の活動を考えている人にはこう助言する。「東京の価値観や成功体験を押し付けるのではなく、地域の視点を尊重しながら進めるのが不可欠です。そこに住む人々とともに未来を創り上げるプロセスが大切です」

Information
株式会社鳶髙橋
〒182-0035東京都調布市上石原2-26-14
TEL:042-485-614
https://tobitaka.tokyo/
YouTube
https://www.youtube.com/@tobitakahashi1978
Instagram
https://www.instagram.com/tobitaka_design_office/
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キーパーソン
高橋慎治(たかはし・しんじ)
1973年、東京都生まれ。1994年渋谷インクスティック プランニングルーム入社。2000年~2005年 作曲家山下毅雄氏の子息、山下透氏のレーベルで楽曲の提供デビュー。その後、CM、映画音楽の制作、サウンドデザインやコーディネートに携わる。2003年リクルート社のCMに楽曲提供。2005年鳶高橋入社 2010年社長就任。近年はアニメを原作とした日本の実写映画の装飾景観設計や製作、映画舞台装飾建築のプロデュースも行っている。
1973年、東京都生まれ。1994年渋谷インクスティック プランニングルーム入社。2000年~2005年 作曲家山下毅雄氏の子息、山下透氏のレーベルで楽曲の提供デビュー。その後、CM、映画音楽の制作、サウンドデザインやコーディネートに携わる。2003年リクルート社のCMに楽曲提供。2005年鳶高橋入社 2010年社長就任。近年はアニメを原作とした日本の実写映画の装飾景観設計や製作、映画舞台装飾建築のプロデュースも行っている。